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反社会組織

「行動学入門」三島由紀夫に学ぶ行動的であるということ

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若者よ、モヤシのようなインテリになるな!行動の美を追求すべし行動は肉体の芸術であるー行動を忘れ、いたずらに弁舌だけが横行する現代の風潮を憂えた著者が、その死を前に、行動と思索、肉体と精神の問題について思いをめぐらせ、男としての爽快な生き方の規範と指針を説いた現代の若者に贈る痛快エッセイ。

この行動学入門は20歳ぐらいの時に読んでからもう何度も読み返している私のバイブルである。

三島由紀夫という小説家の生き様が詰まった素晴らしいエッセイ。

 

 構成

このエッセイは

I行動学入門

IIおわりの美学

III革命哲学としての陽明学

という三部構成になっている。

特におわりの美学は若い女性読者のために読み易く書かれている。

 

内容

行動学入門の各章について語られていることは、要約すれば、行動のむなしさと、行動のむつかしさである。それら、行動への発言は、やがてくる三島由紀夫の自決への決定的な予言の役割をはたしていることに注目すべきであろう。

 

抜粋

行動というものはそれ自体の独特の論理を持っている。したがって、行動は一度始まり出すと、その論理が終わるまでやむことがない。これはあたかもぜんまいを巻き終わったおもちゃが、そのぜんまいがゆるみきるまで無限に同じ運動を繰り返すのに似ていると言えよう。

 

二度と繰り返されぬところにしか行動の美がないならば、それは花火と同じである。しかしこのはかない人生に、そもそも花火以上に永遠の瞬間を、誰が持つことができようか。

 

どんな浅薄な流行でも、それがおわるとき、人々は自分の青春と熱狂の一部を、その流行と一緒に、時間の墓穴へ埋めてしまう。二度とかえらぬのは流行ばかりではなく、それに熱狂した自分も二度とかえらない。

 

本当の卒業とは、「学校時代の私は頭がヘンだったんだ」と気がつくことです。学校をでて十年たって、その間、テレビと週刊誌しか見たことがないのに、「大学をでたから私はインテリだ」と、いまだに思っている人は、いまだに頭がヘンなのであり、したがって彼または彼女にとって、学校は一向に終わってないのだ、というほかはありません。

 

人間は、いつでも、自分のもっていないものに憧れます。たとえば、おわりのない純潔。おわりのない美の結晶。強い、何ものにも傷つけられない硬い純潔。……それがダイヤモンドのもてはやされる理由であり、世間の宝石ブームの心理的根源なのでしょう。