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反社会組織

空気を読まないようになって人間関係を楽にする方法

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日本独特の空気を読むという文化

日本人は空気を読みがちですよね。

私は日本にしか住んだことがないので海外のことは分かりませんが、空気を読みすぎると疲れ果ててしまいます。

そこで空気をあえて読みすぎないように意識するだけでとても楽に人間関係を築けるようになったので紹介します。

 

その場の状況を認識はするが自分の行動基準は別の所に置く

空気を読まない訳ではありません。

空気は認識すればいいのです。

"この人はタバコを吸いたがっている"

"この人は話をしたがっている"

ここでそれを何とかしようとするのではなく、ただ事実として認識するだけでいいのです。

別に自分がその話を聞いてあげなくてもいいのです。

そこまですると疲れ始めます。

ここで自分に意識を向けます。

その時には自分だけのことを考えて行動を決めます。

 

自分が外国人になったと思い込む

義務教育の間、私たちは常に空気を読む行為を強制させられて来ました。

授業中に変なことをしていると皆んなに白い目で見られるという恐怖のようなものを植え込まれているので、無意識に「みんなは今どういう気持ちで、自分がどういう行動を取るべきか」という感覚が働いてしまいます。

ですが、ここで自分は違う文化圏に住んでいると仮定します。

 

例えば誰かが汚した部屋を皆んなが掃除しています。誰が汚したか分からないので誰も責められません。ここで、皆んなが掃除してるんだからお前もやれよ的な空気が流れます。

けど「誰が汚したか分からない部屋を掃除してくれてありがとう、優しいね。」という気持ちがあるだけで良いと思うのです。

その人たちの意思で掃除してるのだから自分はやる必要はないし、言われたら、やりたかったらやるか、断ればいいのです。

 

行動基準を外側に置かない

つまり、行動基準を自分の外側に置かないことです。

皆んなで仲良く協力しましょう。という日本的文化は時に良い効果を生みますが、これからの時代ではなかなか通用しないように思います。

キリスト教の人は神の前で人は平等に様々な権利を与えられていると考えるでしょうし、インドならカースト制に従うでしょう。

そのようにして日本は空気に合わせます。

けどそれは日本だからです。

もし日本でなければ通用しないし、自分がそのような生き方をしたくなければしなくても良いのです。

疲れるだけ疲れて、空気を読んだ先に何の価値も見出せないぐらいなら自分が行動基準を作ればいいと思います。

 

自分が責任を取れるならどんな生き方をしてもいい

結局は法に触れず、誰も困らせず、自分が責任を取れるのならどんな生き方をしてもいいのです。

空気を読まないと嫌われることも多いです。

けどその一定数の人たちに嫌われても構わないと思えれば、もっと自由に生きられるし、好きになってくれる人も沢山現れます。

 

義務教育の先にあるもの

私は義務教育には感謝しています。

おかげで字も読めるし、英語も話せる。

けど余分なものも多かったと思います。

今思えば、義務教育で何が残ったのだろうか、と思います。

皆んなの前で読まされて、間違えたり変なことを言えば笑われる。

そういう意識の植え込みの結果、空気を読める人々が量産されましたが、空気が読めるという能力はこれからの日本にどのように役立つのでしょうか。

日本の中では生きていけても、世界が貧困に向かう中、その能力がどんな発展に繋がると言うのでしょうか。

 

空気を読まなくても死なない

私は空気を読まなくて嫌われることが死ぬほど怖かったです。

だからずっと空気に従って生きてきました。

だけどそしたら人生が虚しすぎて死にたくなりました。

死ぬほど怖いことと、死にたい気持ちが逆転して空気を読むのを辞めたらめちゃ楽になりました。

そして死ななかったです。