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「死に至る病」キェルケゴール|絶望とは何であるか

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死に至る病』は、1849年にアンティ=クリマクスと言う偽名を用いてコペンハーゲンで出版されたデンマークの哲学者、思想家セーレン・キェルケゴールの哲学書。副題は「教化と覚醒のためのキリスト教的、心理学的論述」である。

 

絶望とはどういう心理状況なのか

ということについて書かれている。

最近、絶望的な気持ちに苛まれていた私はこの本を見つけてすぐにポチった。

少し難しい文章だが、適当に読んでいると何となく言いたいことはわかる。

心理学っぽいが、絶望という心理状況を細かく説明してくれる。

「自己をどう捉えるか」ということなど。

私は最初、絶望とは俗世間に馴染んでいる人々とは程遠いところにあると思っていたが、この本では逆にそういう世間的な人々こそが最も絶望的なのだと書いている。

 

自分が絶望の状態にあることを知らないでいる絶望。換言すれざ自分が自己というものを、しかも永遠的な自己というものを、もっているということに関する絶望的な無知。

無知のなかで絶望者はある程度まで絶望に気づくことがないように保護されてはいるが、ーーーこれがかえって彼自身の破滅となる、ーーーそれがすなわち絶望の支配下に保護されているということにほかならない。

なるほどーと思った。

殆どがキリスト教的な観点から論じられているから日本人には少し理解し難い部分もあるが、絶望とは一つの認識でしかないのだと思った。

世界は認識であるなら、絶望した時、認識を変えれば希望も見出せるかも知れない。

 

抜粋

人間は絶望の一つの仕方において無限者のなかに迷い込んで自己自身を失うことがあるとともに、絶望の他の仕方において彼はいわば自分の自己を「他人」から騙りとられるのである。そのような人間は自分の周囲にある多くの人間の群を見、あらゆる世間的な事柄との関係のなかにはいりこみ、世間がどういうものかを理解するに及んで、自己自身を忘却し自分がどういう名前(この言葉の神的な意味において)であったかも忘れ果て、敢えて自分で自分を信ずる気にもなれず、自己自身であろうなどとはだいそれたことで他人と同じようである方がずっと安全だというような気持ちになる。ーーーーこうして彼は群集のなかでの一つの単位、一つの符牒、一つのイミテーションに堕するのである。

 

世間と呼ばれているものは、もしこういってよければ、いわば世間に身売りしているような人々からだけ出来上がっているのである。彼等は自分の才能を利用し、富を蓄積し、世間的な仕事を営み、賢明に打算し、その他いろいろなことを成し遂げて、おそらくは歴史に名が残りさえもする、ーーーしかし彼等は彼等自身ではない。彼等がその他の点でいかに利己的であろうとも、精神的な意味では何等の自己ーーーそのためには彼等が一切を賭しうるような自己、神の前における自己、ーーーをも彼等は所有していない。

 

信仰者は絶望に対する永遠に確かな解毒剤ーーーすなわち可能性ーーーを所有している、なぜなら神にとってはあらゆる瞬間において一切が可能なのであるから。これが信仰の健康である。健康とは矛盾を解消する能力である。この場合矛盾とは、人間的には破滅が確実であるにもかかわらず、しかもなお可能性が存在する、というそのことに他ならない。